承和12年 | (845) | 1才 | 6月25日ご誕生 |
嘉祥2年 | (849) | 5才 | 初めて歌を詠まれる |
斉衡2年 | (855) | 11才 | 初めて詩を詠まれる |
貞観元年 | (859) | 15才 | 元服 |
4年 | (862) | 18才 | 文章生に及第される |
8年 | (866) | 22才 | 円仁の『顕揚大戒論』の序を草される |
9年 | (867) | 23才 | 文章得業生に補される 2/29正六位下に叙され、下野権少掾に任ぜられる |
12年 | (870) | 26才 | 3月方略試に及第される 正六位に叙される |
13年 | (871) | 27才 | 1/29玄蕃助に任ぜられる 3/2少内記に任ぜられる |
14年 | (872) | 28才 | 1/6存問渤海客使に任ぜられる 母伴氏薨去 |
16年 | (874) | 30才 | 1/7従五位下に叙される 1/15兵部少輔に任ぜられる 2/29民部少輔に任ぜられる |
19年 元慶元年 |
(877) | 33才 | 1/15式部少輔に任ぜられる 10/18文章博士となる |
3年 | (879) | 35才 | 1/7従五位上に叙される 『文徳天皇実録』の序を草される |
4年 | (880) | 36才 | 4/16道明寺に滞在、十一面観世音菩薩立像を彫られる 8/30父是善卿薨去 |
7年 | (883) | 39才 | 1/11加賀権守を兼ねる |
8年 | (884) | 40才 | 4月道明寺に滞在、五部の大乗経を書写される |
仁和2年 | (886) | 42才 | 1/16讃岐守に任ぜられる |
3年 | (887) | 43才 | 讃岐の国学で釈奠を催す 11/17正五位下に叙される |
4年 | (888) | 44才 | 城山の神に雨を祈る 阿衡問題について関白基経に意見書を上呈する |
寛平2年 | (890) | 46才 | 国司の任を終え帰京 |
3年 | (891) | 47才 | 3/9式部少輔に任ぜられる 3/29蔵人頭に補される 4/11左中弁を兼ねられる |
4年 | (892) | 48才 | 1/7従四位下に叙される 『三代実録』を撰修される 12/5左京大夫を兼ねられる 『類聚国史』を撰進される |
5年 | (893) |
49才 | 2/16参議に任ぜられる 2/16式部大輔を兼ねられる 3/12左大弁に転ぜられる 3/15勘解由長官を兼ねられる 4/1春宮亮を兼ねられる 『新撰万葉集』を撰進される |
6年 | (894) | 50才 | 8/21遣唐大使に任ぜられる 9/14遣唐使の停止を建言する 12/15侍従を兼ねられる 吉祥院にて50才の賀を祝われる |
7年 | (895) | 51才 | 1/11近江守を兼ねられる 10/26中納言に任じられ、従三位に叙される 11/13春宮権大夫を兼ねられる |
8年 | (896) | 52才 | 8/28民部卿を兼ねられる 長女衍子入内して女御となる |
9年 | (897) | 53才 | 6/19権大納言に任じられ、右大将を兼ねられる |
10年 昌泰元年 |
(898) | 54才 | 7/13正三位に叙される 7/26中宮大夫を兼ねる 10/28宇多上皇の吉野宮滝御幸に随い詩を詠まれる |
2年 | (899) | 55才 | 2/14右大臣に任じられる 嫡室島田宣来子に従五位下を授かる |
3年 | (900) | 56才 | 『菅家文草』を醍醐天皇に献上される |
4年 延喜元年 |
(901) | 57才 | 1/7従二位に叙される 1月25日大宰権帥に左遷される 2月1日京を発し、2月3日道明寺に立ち寄られる 「九月十日」の詩を詠まれる |
3年 | (903) |
59才 | 『菅家後集』を紀長谷雄に送る 2月25日薨去、埋葬される |
5年 | (905) | 味酒安行が祀廟を建立する | |
23年 | (923) | 4/20右大臣に復され、正二位を贈られる | |
天暦元年 | (947) | 土師神社に天満宮が創建される。 | |
正暦4年 | (993) | 5/20正一位左大臣を贈られる 閏10/27太政大臣を贈られる |
|
治安3年 | (1023) | 10/27藤原道長が道明寺を参拝する |