八島君之廟窟碑建碑由来碑
八島君之廟窟碑建碑の再建に至った由来を記したものです。
同じく元文5年(1740)に建てられています。
五条黄門とは、菅原道真公の裔五条為範のことで、黄門とは中納言という役職を退いた人のことです。
こちらも武下忠国によって奉納されています。
恭以
河州志紀郡道明寺境内
建于八島君之冢上
一臈前梅香院超運老尼興起 并撰
人皇十一代
垂仁天皇三十二年穐七月皇后日葉酢媛命薨有臨葬焉
於是天穂日命十四世野見宿祢議奏之以土物
更易生人始埋立其墓此土物謂埴輪矣
帝大喜之詔宿祢曰汝之便議寔洽朕心為後葉之
法則厚賞宿祢之功賜鍛地任土師職因謂土師臣矣詳于
日本書紀垂仁之巻也其取埴以造作人馬及
種々物形献于
天皇即斯地而素土師家之世禄云々嗚呼惜矣乎其土物之古竈
遺蹤纔存寺内南於西崖者唯焦土耳由是大概勒于
石以建験也抑於当寺開基聖徳太子草創大伽藍於
土師連之館跡焉然元亀三年兵火咸失矣葢
聖武之朝天平元年仲秋土師臣十一世禮部尚書通議
大夫土師古人改舊姓而菅原姓焉伏聞正
神之曽祖也奥有八島冢宿祢之後当寺開祖土師連之
廟窟故追遠建碑以祠焉往昔當所稱土師郷当寺號
土師寺者則此寺謂也時元文五季歳次庚申六月日
因五条前黄門菅君之厳命且老尼和尚之謹書
浪華隠士凌雲心畫主人武下忠圀頓首百拝
別號一敬子